人間の尊厳

最近は完全に自分のなかに二種類の感情があって、もっと大袈裟なことを言うと二人の自分がいる。ひとつは幼少期の自分と、もう片方は去年を境に変わってしまった自分。今日は父が病院だと先に仕事へ行った。幼少期の自分は付いて行きたいとおもった、けれど、それをねじ伏せるようにして拒絶した。最近のわたしはずっとこんな感じで、理想を実現することが億劫。億劫なのに、自分で選択した結果を見て、理想を抱えた幼少期の自分は泣く。現在を生きる、主軸の自己に対し、お前なんか死んでしまえと言う。だからわたしはいつだって毎日のように、生活が楽しければそれだけ、死にたい。わたしはどうしたら理想の生活に立ち戻れるだろう。あるいは幼少期の自分など殺してしまって、怠惰な毎日を送りずっとひとりで生きていけばいいのか。恋人は、死にたくなるくらいなら何もしなくていい、ふたりで生きていこうと言った。母は、そんなに死にたいのなら死んでしまえと言った。みんな、わたしを前にどうしていいかわからないのだ。人としての尊厳を忘れた。わからなくなった。

抜け殻

青森県、まだ肌寒い4月。ショーパンをナマ足で履いて早朝の街を歩いたら、意図せず去年の9月を再現してしまった。やめてください。フラッシュバックは、なにも生み出さない。ひとをしあわせな夢から覚めたような気持ちにさせて、なにも与えないまま、感覚だけが少しずつ遠ざかってゆく。
あの日から6ヶ月が経った。わたしのからだも6ヶ月ぶん、老いた。時間は確実に、残酷に、流れてゆくのに、わたしの心はずっとあの日で止まっているんです。わたしは、ここにはいない。ずっと、あの日あの時あの場所で、二度と会えない人間を待ち続けている、のかもしれない。
狂わされてしまった。狂ってしまった。そういう言葉を使うならば、わたしはあの日からずっと、狂っている。別の時間を生きている。20年間生きてきたはずの自分とは死別した。じゃあいまのわたしはなんなんだ。ただの、抜け殻か。抜け殻なら、生きていたって、空っぽじゃない。
欲しいままにニンゲンの温もりを与えてくれる恋人様は、わたしのすべてを知りたいと言った。そのひとのすべてを知ったら、それはもうそのひと自身じゃないだろうか。すべてを知って、溶け合うように二人でひとつ、あーなーたーと、わーたし錯乱坊ーになるのか。それは、わたしが望んでいたことかもしれない。自分が二人いたら、自分を助けてあげられるのに、と常々おもっていたから。もっとも、それはもう恋愛とは別のものになってしまうけれど。
いま、どうやって、生きていますか?生きていたはずの自分を思い返す時間は終わった。いま、どうやって、生きていますか?無理矢理前を向いて過去を断ち切ろうとする時間は終わった。いま、どうやって、生きていますか?泣いて縋って、それでも抜け殻が息を吹き返すことは、もうないのだ。わたしは、いま、どうやって、生きているんですか?